震災では多くのものを失った。
しかも地震と水害とが同時にやってきたというダブルパンチ。原発の問題も含め日本が復興するには10年以上の視点で時間がかかるのは誰の目から見ても明らかな事。
失ったものがある代わりに新しい時代へと変わるって前向きに思う事もあるけれど、特にメディア関してはネットが普及する以前、テレビ、新聞や雑誌、ラジオといったツールが全てだった時代からソーシャルメディアの時代が始まったんだと強く感じる。
AERAの中吊り広告が多くの批判など物議を醸している(もちろん発売された内容も表紙も)。
放射能マスクをした人の写真に「放射能がくる」との大見出しに加え「原発が爆発した」という言葉などが並び、これを煽りと言わずしてなんというかと以前から偏っていると冷めた見方をされていたAERAとはいえそれなりにステータスがあった雑誌。
ネットが無い時代ならさらにさらに大きな騒動になったかもしれない。しかし、ネットではそうした事に対する批判や冷静な見方をされている方が多く、AERAの公式twitterでの謝罪へとつながった。twitterで謝ってすむ事じゃないけど。
一方で、テレビやラジオでは聞きなれない数字や単位の言葉が繰り返し伝えられていて東電の広報が正確かどうかは別として、事実の垂れ流しが横行している。
問題はその先で、『だから・・・』がない。
これじゃあ、井戸端会議と変わらない訳でメディアや報道がどういう役割を持っているのか果たして理解しているのかと怒りさえ感じることもある。
しかし、そうした情報に惑わされる事なく、海外を含めた情報をネットでシェアし、ソーシャルメディアとしての世論がきちんと形成されてきている。
節電もあるかもしれないけれど、周囲でもTVを観なくなったという人も多かったし、自分もそうだ。こうして個人個人が自分の信頼できるメディアを構築しつつある今、改めてTVを含むソーシャルメディア以外の存在価値を考えた次第。
大前研一氏が言っている通りならば、原発の専門家がいないという日本では仕方ないし、これだけ大きな震災だから政府が問題という事になるんだけれど、だからこそ出来る事が何か?それこそが既存メディアの役割。
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