毎年7月末に市川南口の商店街で開催されるお祭り。
正確な来場者は分からないけれど、かれこれ30年を超える歴史を持ち商店街の道には露天が50程並びまっすぐ歩けない程の混雑を見せる立派なもの。
そんな祭りから一夜明けた今朝、商店街の通行の妨げになる程、ゴミがうず高く積み上げられていた。
歩きながらチラリ見るゴミの山の中を見ると本来ならちゃんとゴミを出すルールが決められたものが捨ててある。扇風機やスーツケース、フライパンにトースターなんてものまで。
燃えるゴミ用の袋の中に空き缶が入っているなんて可愛い方で、中にはガスコンロが入っていたりする。
そんな祭りから一夜明けた今朝、商店街の通行の妨げになる程、ゴミがうず高く積み上げられていた。
歩きながらチラリ見るゴミの山の中を見ると本来ならちゃんとゴミを出すルールが決められたものが捨ててある。扇風機やスーツケース、フライパンにトースターなんてものまで。
燃えるゴミ用の袋の中に空き缶が入っているなんて可愛い方で、中にはガスコンロが入っていたりする。
このゴミは市のゴミ収集車が回って処理をしてくれるだろう。
そう、誰かが片づけてくれる。
ほんの一部の非常識かつプライド、そしてつながりを知らない人間のおかげで何十年も続けられてきたお祭りの質が問われ、そういう光景を目にした子ども達にはゴミ捨て場所なら何を捨ててもいいといった気持ちが芽生え、さらには多くの気持ち良い時間を過ごした人や運営側の人の心が踏みにじられる。
そう、誰かが片づけてくれる。
ほんの一部の非常識かつプライド、そしてつながりを知らない人間のおかげで何十年も続けられてきたお祭りの質が問われ、そういう光景を目にした子ども達にはゴミ捨て場所なら何を捨ててもいいといった気持ちが芽生え、さらには多くの気持ち良い時間を過ごした人や運営側の人の心が踏みにじられる。
今年は様々な場所で復興という冠を載せた祭りが開催されると思う。
しかし、自分達の街も綺麗にできず、何が復興支援か?
祭りをキッカケに復興を呼びかける事で広く支援意識を持続させていくという事は決して間違っている事ではないがこうしたゴミの山を見ていると安易な客寄せパンダが如く簡単に復興という言葉を使う心無さが垣間見えるようで不快を通り超して怒りさえ感じる。
もっともこうしたゴミの山を産み出す祭りはガレキの山を見る被災者の心を踏みにじるようなものでしかない。
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