「年内には閉館?いや時期は分からない?」そんな噂が飛び交う清里現代美術館へ。
僕世代で清里って聞くと、バブル期にテレビで見た華やかなイメージがあるんじゃないかって思う。
芸能人のお店、避暑地、ドライブデートで清里まで、、、今回、清里初上陸となる道中は、そんな光景を思い浮かべ多くの人々で賑わってるんだろうと思っていた。
しかし、駅を出て飛び込んできたのは、まさにバブル崩壊を表した様な閑散とした街。検索すると同じような写真が結構出てくる。
メインの通りに立つお店でやっているお店はほんの数軒。もちろん、店内に人はいないし、この街には不釣り合いな程に派手な作りの建物のほとんどはシャッターが降り「入居者募集」の看板がかかっている。
写真は夕方の写真だけれど、昼も夕方も景色は変わらない。
そんな駅から目的地までは徒歩10分程度。
閉館という言葉を聞いてワンサカ人がいるんじゃないかと思っていたのに、亀裂と雑草の道を歩き始める間、通り過ぎていく車も数える程。
到着して入り口入った途端、入り口にうず高く置かれた関連資料や本が飛び込んでくる。現代美術も何も分かっていない僕でさえ圧倒されるような雰囲気を感じながら、自然と館長と話になっていく。
何故、現代美術が必要なのか、分からないものを見るとはどういう事なのか?、どうして、訳の分からないものを見る必要があるのか、随分と長い時間その思いを話してくれた。
お願いもう一度聞かせてくれ!もっと話を聞かせてくれ!!
その話は動画にとってちゃんと残したいって思えるほど。
思わずメモを取り始める。
その内容は是非、現地で直接聞いてもらいたいって思うので詳しくは書かないけれど、現代美術に何の意見も無かった僕の中で何かスイッチが入った様な気がする。
本館の展示物も圧巻。
これだけの内容が、常設展。そんな場所は日本には無いのだそうだ。
そんなに滞在しないと思っていたのに、時間が過ぎるのも忘れる程じっくり見て、別館に移動。
そこでさらに圧倒される。
これは写真を見ても伝わらないだろうけれど、圧倒されるとか、そんな言葉で語れない様な部屋の中で、作品を収集した館長の弟さんとも随分と長い間話しをさせて頂いた。
もう手に入らないもの、作品よりも価値があるもの、もちろん手に入るものだってある。しかし、これだけのものを一箇所に集めて見られる事なんて、今後、国内では多分、いや、絶対に不可能だ。
山梨県では何もしないのだろうか?と思わずにはいられないと思ってふと保坂和志の本を思い出した。
その中で、山梨県は東京に隣接しているにも関わらず文化果てる様なところで図書カードが使える書店も全国屈指に少なく、山梨県出身の宗教人類学者、中沢新一さん曰く「僕の本が一番売れないのが山梨県」とあったけれど、もはや県ってより日本の問題なんじゃないかと思う。
テレビ、ニュース、本、映画、ゲームといったContentsや、生活に至る全ての事は与えられたものが多い。教育界の末席にいる僕だけれど、想像力欠如の問題提起はどんどん盛んになってきている。
98年にgoogleが世に出てきて、IBMのディープブルーがチェスで人間を負かしてから、ご飯を食べる、行き先、何をする、にしても周りからの情報を信じるようになった。
僕にとって現代美術を見る事は、自分を知る為だといえる。
この作品は何だろう?の答えを探そうとする自分の思考を客観的に見て、さらに考える。
しかし、もう日本の同じ場所でこれだけの作品、資料が見られる常設展も場所も機会もなくなる可能性は高い。しかも年内どころか、6月中って可能性もあるんだそうだ。
結局、この日館内で出会ったお客さんは2人だけ。現代美術に興味が無くても、絶対に行った方がいいし、多くの人たちにあの場所を知ってもらいたい。
・・・【日本から知識が流出していく/商業主義/人を育てない文化】・・・怒りのブレイクスルー―「青色発光ダイオード」を開発して見えてきたこと (集英社文庫) [文庫]
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