生まれて初めて行った映画館は浅草ロック座近くにあった。
当時は二本立てってのが普通で、アクション映画の二本立てと、もう一つは「水戸黄門」と「トラック野郎」。
どうしてそう思ったのか分からないけれど、連れて行ってくれた爺ちゃんも飽きないよう「水戸黄門が見たい!」と選べる気遣いが出来る子供だった。
そのトラック野郎がドはまりで、大きくなったらデコトラに乗りたいなとトラックのミニカーを買ってもらい、ラジコンなんて無かったから、前輪に糸をつけて日が暮れるまでそれを引っ張って遊んだ。
浅草は小さいころから爺ちゃんに良く連れて行ってもらった場所だ。
当時はまだ戦争で手足を失ったと軍服を着て物乞いする人が雷門に何人かいたし、今は入場料を取る花やしきも入るだけなら出入り自由だった。煮込み通りでもつ煮込みを食べて、スマートボールをするのが楽しかった。
学もなく、身体の小さな、どちらかというと貧素な印象だった爺ちゃんが奇しくも初めて見た映画トラック野郎の菅原文太が亡くなった日に逝った。
いつもニコニコしながら「大丈夫だ。大丈夫だ。」と口癖の様に繰り返していた姿が目に焼き付いている。
白髪を一本抜いたら10円だとか、あぁ、いつも作ってくれたすいとんが美味かったっけ。
僕はどんな老い方をするだろう。
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