「家に帰って風呂に入ろうと思ったら血だらけでさ、娘の自傷行為が続いているんだよね。今も引きこもりでさぁ。」
かれこれ30年以上付き合いのある方から初めて聞かされた。
誰もが一度は死にたいと思った事があるだろうし、多感だった頃なら尚更だろうし、僕自身もそう思った事は一度や二度じゃなかった。
興味本意でもし、そんな事をしたら痛いよな?楽になれるかな?と思ったし、”死”って何だろうとも考えたけれど、いつの間にやら、日々駆け抜けるワイガヤという”ノルマ”で考えなくなった。
生きる目的の見つけ方って何だろうね。
以前、メンタルトレーニング手法のセミナーに足繁く通った事があるんだけれど、そこに来ている人って他の関連イベントなんかで良く会ったりするんだ。まぁさ、相手から見たら僕もそうなんだけれど、暫く通って思ったのは主催者の戦略に何だか乗っかっちゃってるなって。
そういう場に行くとさ、楽しくはある。
でも、自分の存在や社会的な価値や役割とか自分が何がしたいのか分かっていないと、セミナースパイラルに陥っちゃう。
「うわー最高に楽しい!」「明日から頑張る〜」
って思うんだけれど、結局、具体的にやる事が分からないし、他力本願的な考えの方もいるもんだから、また暫くするとセミナーに行ってしまうの繰り返し。
もちろん、素晴らしい方や優秀な方や今でも付き合いがある方も含め良い点が沢山ある事はもちろんなんだけれど、そうしたセミナーから遠ざかっている人って、セミナーに参加する必要が無いわけですよ。
当たり前だけれどw
でね、
話しを戻すと、そうして悩んでいる特に若い方に対してどういう言葉をかけられるのかなって、30年来の方と話しながら思ったんだけれど、結局はセミナーみたいな言葉ってより役割や存在価値を認められる場とか思考を自分自身で見つけられないと結局は◯◯スパイラルに陥るか、今の症状をより重たくさせちゃうんじゃないかって。
だって、一人でこもっている間、本人だって滅茶苦茶考えているだろうから、場当たり的な言葉をかけたって「は?」ってなるよね。
じゃあ、そういう思考を持てるような場やキッカケってどうやったら作れるんだろ?
学校の先生や友達との出会いで作れるのかもしれないし、もちろん学校以外でも作れるのかもしれないけれど、僕はここがいいなって思うところが一つあるんだけれど、変に取られると面倒なのでそれは個別にってところで。
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