僕自身も結構使ってしまう、コミュニティとか街・場づくりといったキーワード。
2017年は、コミュニティ・場作りといったキーワードが仕事の中により意識させられる形で増えてきそうだし、まぁ仕事柄、そういう事を考えるのは自然というか必然なんで、タイミングが合うイベントにもちょくちょく顔を出していたり、知人にも周辺仕事をしている方が多いのだけれど、自分の中ではこういう事だ!とかこんな事をやってみよう!とか、しっくりと来ていないところがあったんだよね。
先日、銭湯に入っていてふと思ったのは、コミュニティってのは必然から生まれるものであって、作られたものの中で派生したコミュニティはコミュニティになりにくいという、当たり前っちゃ当たり前の事。
昔って家庭にお風呂が無い家って結構あってね、当時済んでいた近所にも3つ位あって近所のオッチャンや友達家族なんかも来ていたりして、自然に子供の自分にとってのコミュニティは家庭や学校だけじゃなくて、近所のオッチャン、つまり、「街」ってのが自然にあったもんです。しかも、お風呂って毎日入るものだったから、ワークショップやショッピングセンターの様なものとは全く異なる生活の一部から培われたコミュニティだった。
学校の行き帰りで、そんなオッチャンと街であえば「こんにちわ」だったし、近所にあちらこちらに井戸端会議ってもっと沢山あったような。
だから、人の関係が途切れがちになっている都会みたいなところで、コミュニティ作りを目的にしたものを仕掛けて、大成功とか思っていてもそれは実は錯覚みたいなものかもしれないし、逆に銭湯コミュニティがある街で人が多く集まっても、そもそもイベントとして集まってるだけで、コミュニティとしてなかなか定着しない。
だから、雨後の竹の子のように途切れる事なくコミュニティ議論が交わされ、単発ワークショップが蔓延る事になる。
もちろん、コミュニティの先にあるイメージっていうのか、その辺をどう意識しているのかが前提になるわけだけれど、風呂が各家庭にある時代、必然のコミュニティをどう作るかって考えた時にいいなと思うのはスポーツ。
例えば、知人が代表をしているサッカークラブは、地域に根ざしている事はもちろんトップリーグ選手とジュニア選手が練習したりイベントしたりと同じクラブハウスだったりするので縦の関係がきちんと作られていて、しかも、その親御さんたちもチームがあるので交流も起こっている。
これは、Jリーグやワールドカップなど将来的なものが具体的に見えるからってのもあるかもしれないけれど、そう考えると、祭りってのも同じ位置づけになるのかもしれないなぁ。
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