卒園した子ども達がランドセル姿を見せに遊びに来てくれる。
ちょっと会わないだけなのに、既に恥ずかしそうにする子ども達。新しい友達が出来たか?と頭に手をやれば、うん!と目を輝かせている。
駅前繁華街、道行く人はそんな自分たちの会話に無関心だけれど、出来るだけ外の通りに出て子供達と会話しよう。そんな景色って大切だと思うし。
小学校4年生位までほとんど学校の友達がいなかった。
1年生の頃、近所に朝鮮の子供達が住んでいる場所があって、そこに住んでいた”長”と表札にあった家の子供と良く遊んでいた。
ノブちゃんと呼ばれていた彼とは沼地でザリガニを釣ったり、草野球をしたりと日が暮れるまで遊んだ。
そんなノブちゃんもいつの間にか引っ越して、彼らが住んでいた一帯はなくなり新しい家が建った。
一人遊びが得意だったので、いろんなことを想像して空地を走りまわり、それに飽きるとじぃちゃんにお願いをしてハゼ釣りや浅草にモツ煮込みを食べに連れて行ってもらった。
自分を守る最大の武器が客観的になる事だった幼少期。
妙に冷めていた自分は大人からは楽な存在であったかもしれないし、変わった存在だったのかもしれない。
今の自分がその頃の自分を見たらどう思うだろう。
今、こうしてランドセルを背負って新しい友達が出来たと喜ぶ子ども達を見るととても嬉しく思うと同時に大人の友達としてずっと仲良くしてあげられたらいいなと思う。
子供の頃は先生から「これ分かる人?」と聞かれたら、間違いも正しいもなく、ただ手を挙げてその存在を主張する事が全てだったりするし、確立した価値観や先入観を生み出すフィルターも無いまま相手を受け入れる事ができる。
子供の頃は余計なものなんて要らない。
価値観を植え付けられる必要もない。
ましてや客観的になる必要なんてない。
色んな事を経験すればいい。そして親はもちろんの事、周りの大人があーでもないこーでもないとしつこい程にかまってやればいいんだ。
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