ネットで目にする諸々の批判で嫌悪感を感じるのは、①相手側の立場や悩みをきちんと想像する⇒②具体的解決策を話し合うの図式が成立せず自分の主張を日本社会の縮図だと大風呂敷を拡げてしまうパターン。
そういう多くが「①<自己主張・事故価値観」が前提になってるんじゃないかって。
時代と共に、「今だけ、金だけ、自分だけ」主義が当然になっていきている中で、①は理想論とも言われる場合がある。確かにそうだと思いつつもどうしたら、①の気持ちをもっともっと強くもてるのだろうかと思う今日この頃。
夕方、日がまだあるうちからフラリ街へ繰り出す。
カウンターで飲みながら隣の方と話していたら、なんと今関わっているプロジェクトがある街に住んでいるという上に、同じ年!
なかなか同じ年の方って会わないのすよ。
その街、実は僕が小学校1年から3年まで過ごした場所で、それなりに思いはある。小学校1年になったその学校はまだプレハブだったし、駅裏には大きな池があったし、今ではコンクリートの蓋がされてしまった用水路は当時は蓋が無くてよくザリガニを採ったような場所だ。
公園の前には駄菓子屋があって、そこが子供にとってのサードプレイスだったもんだから、学校で知らない子供達ともそこで自然と仲良くなれた。
公園が多く、神社仏閣など歴史もある街なのに、駅前は神田駅を連想させる派手な看板で埋め尽くされて、それこそ「今だけ、金だけ、自分だけ」を思わせるような雰囲気なのに、一歩路地に入れば昔ながらの商店や店があって、ホットするような街。
・・・その一歩は小さく、時間がかかるかもしれないけれど、様々なサードプレイス的な場や機会を作り、多様な世代や職業などが集まり交流する事が出来るなら、それは「 相手側の立場や悩みをきちんと想像する」事が出来る土壌を作れるのかもしれない。
軽く飲むつもりだったのに、話しが盛り上がり過ぎてしもた。
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