夜は一人飲み。
周りの声をBGMに、料理を作る親父の顔をテレビにしながらワガママ酒。
そんな店内で聞こえてきた◯◯元年という言葉が気になった。
googleやディープ・ブルーが世に出た事あたりをアフターgoogleとか、◯◯元年といった言い方を耳にする事が普通になってきたけれど、敢えてそういう言い方をするのであれば、僕にとってはやはり2011年の東関東大震災が、その年にあたる。
食文化や安全を現場で伝えたり、変えようとしている知人との出会いは、”美味しい”ものを”食べる”という端的な「食」の視点を社会、生活、人生といったマクロ的な価値観に気付かされ、どうせ資本主義社会に生きているんだからと「今だけ、金だけ、自分だけ」論を致し方なしとしていた事をあえて前向きに捉えさせ、自分の幸せとは何か、自分がやりたい事は何かをとことん考える機会を創ってくれた。
そんな知人の一人が移住した某地方での取り組みは、「なにもしない」という事。
で、
そこで凄いと思うのは、なにもしないの裏側にある大きな街づくりの為の戦略だ。
「街づくりしてまっせー!」と宣言すれば、某大手流通やFCなど、それこそ「今だけ、金だけ、我が社だけ」の企業や人がわんさかとやってきて、地域資産を食いつぶしていってしまう。
長い期間、そして未来につなぐ為の「価値」を継承していく為には、街も個人もゆったりと過ごしていく事が大切だし、そういう視点を持つ為には、「自分にとって何が幸せか」をとことん考え抜くきっかけ、考える時間が必要なんだよなと。
それを教えてくれた2011が自分にとって価値観移行元年。
ところで、ガラっと話しが変わるけれど、先日、AEDを使った防災訓練に参加したんだけれど、AEDってレンタルで月6,900円もかかるんよね。
せめて半額で、例えばスマホの電力が◯%あれば携帯キットを使って小児に使えるとか、そんなの開発してくれれば、もっと救命を意識する機会も増えるだろうし、どこかのベンチャーが開発してくれればいいなと思ってます。
ない?
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