後輩が別府にある実家の温泉を引き継ぐと風の便りで聞いて初めて意識した大分県。
一度行ってみようかと思っていたけれど、飛行機での移動、空港からの移動手段がバスという不便さからなかなか腰を上げられずにいた。
それが、ひょんな事から誘ってもらったイベントの行き先が別府。何だか不思議な縁を感じながら早朝の羽田から出発。
「湯道」と名付けられたそのイベント、細かい話しは抜きにしてざっくり言ってしまうと温泉をキッカケに明るい社会や国を創ろうというものだ(と思っていた事がいかに浅はかだったかと次第に感じるようになる)
息を吸って、息を吐いて
このお湯が、大地から湧き出してくるさまを想像してみる
息を深くすって、息を深く吐いて
このお湯が、大海とつながっていることを想像してみる
息を吸って、息を深く吐いて
すべての人が、ともにお風呂に入っている事を想像してみる
(略)
大分空港から初日集まったメンバーと向かったのは、熊野磨崖仏という重要文化財。日本最大級のスケールという事もあって、結構な坂道を上がる。しかも、一晩で鬼が作ったという伝説が残る乱積みの石階段という事で、なかなかのエクサイズ感。
僕は古い階段を登るのが嫌いじゃない。
疲れを除けばその方が昔の人の歩幅から背丈はこんなんだったかな?とか、お侍も失恋して相談しに来たか?なんて事を想像出来て楽しい。
何より、平安時代、これだけの巨大な彫刻を作るの為に、この階段を何度も昇り降りした事を考えるとタイムスリップした様な錯覚を感じる。
---次に向かった先は国東半島芸術祭の作品の一つ、Hundred Life Houses。
縄文期の出土品が発掘される等の歴史ある岩場に数字がデジタル表示される家がかけられている。
歴史を学び、紡いでいくというのはこういう事なんだよなと感じる作品。
僕が子供の頃の歴史の教科書はクロマニヨン人からスタートして近代史へとつながっていくものだったと思う。でも、それってさって話しなんですよ。
だって、猿見せられて、竪穴式住居って言われたって、なかなか、現代と接点を作る事は困難ですよね。
だから、僕の祖父がいて、その父親が居てとなったり、今の携帯電話から黒電話が出て狼煙と説明されたり、Deftechの歌にもある、「おんがくの最初は恐れる気持ちを打ち砕く為の叫び」だったりw、現代から遡っていってくれれば、もうちょっと歴史の授業楽しくなったかもしれない。
---昼食はサンウェスタンでエビのかき揚げ丼と岬ガザミ(ワタリガニの一種)。普段見るワタリガニと同じ型なので、味もワタリガニのそれと同じかなと思うんだけれど、甘みとコクがしっかりしていて、こちらの方が美味しく感じる。
---食後は、ANOTHER TIME XXへ。
作品がある場所までは車でも行く事ができるけれど、今回は、多くの僧侶が修行の為に歩き、アーティストであるアントニー・ゴームリーも歩いた山道を歩いていく。
ただ、そこにあるのは静。
虫の音、足音に驚いて逃げる鹿の音、風の音、色んな音があるのに、とっても静か。
時間は流れているし、歴史はどんどん変わる。その中に自分も組み込まれたような気分になる。子供の頃なら何かに落書きしたくなっちゃうのかもしれないけれど、そんなチッポケなものじゃないもの、うーん、文章力無いなぁ。
こういう時、それなりのライターさんならなんて書くだろう。
山を登り、目の前には作品が、いや、それまで多くの人たちが見てきた景色が拡がる。
何を思い、何を願い、何かを感じただろう景色。
そういや、こんなキャンペーンもやっていたけれど、何とか計画ストップしてもらいたい。
−−−そしてこの日最後の作品、説教壇はその名の通り教会をイメージして作られている。
今日見てきた作品の共通するキーワードとして歴史と現代が「つながる」というものがあると思う。
作品をキッカケにその頃の日常に思いを馳せる。そこれで出てくるものが、街への興味だったり、文化や歴史、人への興味だったりと色々あるんだろうけれど、そこまでの答えを求めるものでなく、それぞれが感じればいいんだと。
で、こうした事を感じられたベースにあったのが、国東半島芸術祭、そして湯道という企画なんだよね。温泉やホテル、食など、それぞれ単体として魅力的なものは沢山あるけれど、それぞれをアートというチカラでつなげていく。
湯道って風呂入ってウィ〜って事じゃなく、歴史という膨大な線状の中に組み入れられながら、街や文化とつながる事が出来るアートプロジェクトなのね。
ほんと色々と考えさせられながら、part2(初日夜から)へ続く。
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