▲久しぶりに夜の神田を歩いたんだけれどね。明るいというか、眩しいというか、短い距離の中に「こうこう」と、というより「せんせん」と輝く様は、煩い。
無秩序さって嫌ではないけれど、この光一つ一つに、人々の欲やエゴ、ストレス、様々なものが見え隠れしているからか、そこに居るだけで息苦しくなるような不健全な圧を感じる。
そんな喧騒の中でふと、計画停電って何だったんだろう?と思う。
原発デモを含め、2011年をキッカケに始まって、今でも続いている様々な出来事、そして、同じ日本にいて、運悪く被災してしまった方々の悲しみと酔狂とのギャップに違和感がたまらない。
先日、新たに立ち上がったProjectに参加していてさ、ITによって物事を便利にしていったり、例えばコミュニケーションを促進したりって事はもちろん大事だけれど、それがキッカケになって社会を考えたり、面倒だと思っている事を片付けさせてくれる、つまりITが僕らを良い方向に突き動かしてくれるような仕組みがあったら良いなと。
ゴミ箱が自らゴミに近づいていくんだけれど、ゴミ箱そのものには手が無い。だから人がゴミを入れてあげると、ゴミ箱は新しいゴミを探してサッと行ってしまう。
そんな仕組みや、子育てに優しくなる社会を想像させてくれたり、優しくなれたりとかね。
だから、震災ではメディアを通じてとかでないとなかなか思い続けるのは難しい事を、ITが動機や気持ちのキッカケになって、ゴミ箱ってより、ゴミ箱”ちゃん”の様な仕組みを通じて作れたらいいし、まぁそんなのを創ろうってProjectなんですが。
・・・で、そのProjectMeetingに向かってる時、街にまつわる文献や文化などをアーカイブ化していくProjectに取り組んでいる知人に、バッタリ会って「VRの面白いがあるんだけれど見に来る?」って事で、実は人生初VRを堪能してきたー。
いやぁ凄いね。
演出効果ってのも大きいんだろうけれど、例えば、被災地をVRで歩くツアーとか、山登りとか美術館とか、車椅子や足の不自由なお年寄りとかが見られたり、あとは、本の世界観を映像で表現するなんてのも面白そうだし、自分の体の中ツアーをやって健康を考えたりとか、儲けようって事でなく、そんな社会的創造価値ある事を一緒にやれたらよくねって。
個人的には映画「ミクロの決死圏」的な旅を通じて自分の健康を考える体験できたら面白いなと思った次第です。
▲子ども達はスマホを持ち、幼稚園位になるとスマホ片手に登園してきたり、小学生低学年でもスマホゲームをやっている姿を見る。親としては静かにさせたいとか、言う事を聞かせたいといった事などコンビニ発想育児が蔓延している。
子ども達がスマホのブルーライトによってホルモンバランスに影響を受けてしまう事は良く言われるが、”今だけ”を考えてしまうこうした便利な世の中ではなかなか意識改革をする事は難しい。事実関係は別にして、先般の芸能人の謝罪会見などを見ていても今の親御さんは責任が重たすぎるようにも思っているので、最近の親はと言うつもりもないけれど、そうしたリスクをしっかりと把握しておかないといけない。
僕が言いたい事は、じゃあスマホを一切見せるな!街に出すな!キャラクターグッズもだめだ!テレビもだめだ!という事ではなく、そうしたリスクもあるよねって知っておく事はまず大切だと思うんだよね。
コンビニ食が当たり前になっても、やっぱりコンビニ食は外食よりは家で手作りした方が身体に良いねとかさ。
家庭の意味とか役割って何だろうって最近思う。
▲学生時代の友人が再び渡米するというか帰国するので、壮行会という名の馬鹿騒ぎ会。
うち一人は失業中。
50手前で失業した時に、問われるのは、キャリアはもちろんの事、人脈だ。
何ができるとか、何をしてきたかという事はもちろん大切なんだけれど、大切な事は自分という商品をきちんとプロモーションできるという事だと思ってる。大学で保育の仕事を説明する時にもそんな話を通じて保育の仕事を伝えたりするのだけれど、レッテル貼りが好きなこの国では何足もの草鞋を履いて、ニューロンのようにつながり影響させ合う事をイメージすると良いのかな。
「大学時代を思い出せ!」
僕が考えやらなくちゃいけない事は、そうした不測というかそうならない様にする為に子供達に伝え教えていかなくちゃならない事は何かという事だ。
柔軟に、戦略的に、自分研磨していく。そうした中で、社会的存在価値ある事を見出し、とことん追求する。仕事はその手段であるし、肩書きや給料面でどうこうでなく、その目的の為に何が得られるか。
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