”レイニーブルー”の「真夜中の電話ボックス」が「携帯電話」に変わり、”恋に落ちて”の「ダイヤル回して手を止めた〜」は、「タップ」になり、「ポケベルが鳴らなくて〜」とか「君がくれたカセットはもう〜」は、、、ん?今はライン?ダウンロード?、とまぁ、恋愛曲って時代で言葉が変わるからおもろい。
僕ら世代からすれば、恋愛曲で電話ボックスとか聞けば、あの頃の情景がふわっと浮かんでくるけれど、今どきの人には、電話ボックスって何やねんから説明しなければならないんだろな。
先日、移動中に音楽でもとamazonPを検索してると「悲しみが止まらない/杏里」が目に止まった。
ドライブ用にと作ったカセットには必ず一曲は入れたあの杏里ですよ!
当時の事を思い返しながら聞いたら、今まで分からなかった事にちょっと驚愕したって話しを書いておこうかな。
まぁ有名な曲なんで内容は皆知ってるだろうけれど、親友に彼氏を横取りされて打ちのめされ、挙句には「誰か助けて」って程まで落ち込んでるにに、誰からも救われずひたすら悲しみが止まらないを繰り返す、それはそれは、悲惨な歌なわけ。
でもね、
恐らく誰も「あの歌聞いてると鬱になるわー」とか思っていないんじゃないかと。
僕が聞いていた頃は、チャン、チャチャーンと鳴ると「これ好き」なんて声の方が圧倒的だったし、事実、この歳になって聞いた時もあの音が耳に聞こえた瞬間、文化祭で出会った子とか、初めてのデートとか甘酸っぱい青春の記憶が蘇ってきたくらい。
で、当時は全く気づかなかったんだけれど、あの曲は悲惨な歌詞の超対極に位置する位の明るく前向きなメロディーが実は肝なのかもしれないと。
滅茶苦茶前向きに強がっていたって、実は滅茶苦茶落ち込んでるんよといった気持ちを表現した「悲壮感」なんて言葉が突然フワッと頭に浮かんできたりして、今まで全く気づく事もなかったお宝を見つけた様でちょっと嬉しくなったという、どうでも良い話し。
ただ、絵本だって映画だって、さらに言えば、街の景色や人に至るまで、改めて見ると全く気づかなかった事って沢山ある訳で、それって、例えばある特化した分野の本を量として読んでも、気付かないのに、全く違うジャンルの本を読んでまた戻ってみると突然見えてきたり、人生にも似たような事は沢山 あるんだよね。
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