自分は在宅し、アバターというか自分の分身が実生活で活動する事による弊害を描いた作品。ストーリー展開はちと無理やりなところがあるんだけれど、自分の分身となるロボットが外に出て活動するという視点は面白いなぁと思う。
人間はいずれ一部サイボーグ化していくんだと思う。ここまでの世界は無いにしても近い世界はありうるよな。
まぁこういう映画は突っ込まない事が一番。楽しんで見ましょう~(^^)
▲i-Pad発売日。こんな時だからこそ、よしkindle買ってみようかとか天邪鬼な事を考えるw
しっかし、加熱するお祭り騒ぎの様子が取りあげられていたけれど、ふと、最近日本が開発した商品でこうした社会現象にまでなるアイテムってないよねって思ったり。
記憶にあるところではドラクエやFF、たまごっちといったゲームや玩具ばかりだな。(逆にいえば、そうしたメーカーって凄い)
電気屋さんが好きなので、たまにふらりと行くんだけれどほんとすげーなと思う機能がついたものなんて山ほどある。日本の技術って凄いよって心の底から思うのに、世界的に話題になるようなアイテムが登場してこない。
家電を並んでまで買うかっていう商品別問題は抜きにしても、利用者視点の欠落と制度の問題が原因であるところは大きいと思う。技術的に出来ないものはないのに、例えばSONYがREADERを米国で発売した様に国内では制度が邪魔をする。
また、消費者はそこまで求めていないのに、最先端技術てんこ盛り商品が登場する一方で消費者はもっと多くを望んでいたのにピピンアットマークみたいな時代をかなり先取りした商品が登場する。
一番大切な視点は利用者ニーズとウォンツの適正部分というマーケティング、そして最新技術をきちんと後押ししてくれる制度だー!と口では簡単に言えるけれど、もう一つ、制度のイノベーションってほんと難しい。
でもさ、こうした制度って国が創っていくものだし、米国への鉄道売り込みで日本の最新技術でさえも採用が困難である事にもある様に、やっぱり技術を商品にしていく場合は制度もきちんと考えてもらわないといけないんだよなぁ。
当たり前の事なんだけれど、ふとそんな事を考えさせてくれたi-Pad。
夏頃かなぁ。
▲久しぶりの面々と
MAKOCHAN@新橋。
こういう時の集まりで大切にしたいなぁと思うのは、「何となく」って事なんだよね。そう、なんとなく。
なぁんとなく・・・
仕事に直結する様な集まり、学びがある集まり、いろーんな集まりに行くけれど、最終的に残るのは価値観が共有できるかどうかだよって思っている。
先輩とか上司だとか、名声だとか自分よりも信用や社会的価値が高い人と付き合う事は確かに実利に直結しているので分かりやすいし、学びも沢山あるので刺激もある。でも、お互いのビジョンに共感でき雁行モデル、渡り鳥モデルと言われる成長曲線のベースにもなっている「価値観を共有できるかどうか」の物差しをもっておく事ってとても大切だと思うんだよね。
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