三越もいけれど、こちら高島屋も味があるよね。
隣には最新技術を盛り込んだ新たなビルが出来る訳だけれど、人の”想い”というフィルターを通して見られる訳だからこの”雰囲気”には勝てない。・・・とすれば、今時の子どもからすれば見る景色って全然違うのかもしれないなぁ。
で、この表面に見える静かな建物の裏側にはそれぞれの思惑や競争があったり、共存があったり、その辺の歴史も知りたいところ。
・・・さて、今回は表面に見える事よりもその裏側にある事を想像したりすると結構面白いって話しを書こうと思う。
以前、「女性の大学生がキャバクラで働くと不謹慎となるのに、キャバクラ嬢が大学に通っていると努力家だとなる。」という話しを聞いたか見たかで、なるほどなぁ〜と。
言い方の順番や、組み合わせ方によって、印象が変わるって事だけれど、同じような事は結構ある。
誰かが、食べ物や遊びの事ばかりネットに上げると、すげー遊んでいるなとか、時間があっていいねって事になるけれど、どんな事をやっているのかが分かると、良く時間作れるね〜となったりする。
言葉ってそれ単体より、何かと掛け合わさると、、、例えば「大学生」ってだけ言うと、チャラチャラと勉強しないで遊び呆けているという印象を持つ人もいるかもしれない。ところが、”偏差値が高い”☓”大学生”となると「凄い!」とその印象がガラリ変わる。
”まぐろの刺し身”って単体のメニューより、”大間”☓”まぐろの刺身”となった方が「うまそー」ってなる。
思う事は、組み合わせや編集力によって、遊びでも、仕事でも、全く違ったものに聞こえたり、印象がガラっと変わる。つまり、掛け算の時代だなと改めて思うのですよ。
・・・新卒でサラリーマン時代の僕は名刺交換文化をそのまま受け入れていたけれど、自分とは?なんてあまり考えた事がなかったように思う。看板で仕事をしていたっていうのはそういう事だったかと思い知らされるのは転職した超弱小会社に入った時なんだよね。
会社名を言ったってCMやってる訳でもないから、どういう会社で、自分は何をしているかを伝えなければならない。
だから、自分で自分をどう売り込むか?どう商品やサービスに差別化すべきコンテンツを加えていくかってのが勝負になるもんだから、まぁそれなりに考える事になる。
話しはちょっと脱線するってか、こっちの話しを本来したかったんだけれど、保育の仕事をしていると子どもを見る力も大人によってはどこかレッテルというか、「フィルター」をかけて観てしまう事は否めないなぁと思う事が良くある。
だから、保育をしている大人ほど、あえて自分からレッテルを貼る名刺交換文化とか、偏光レンズをかけてしまう体裁や美栄とかメディア評などの裏側を日頃から自然に見られるよう訓練をしておく事が特に求められると思うわけですよ。
何しているの?と聞かれ、保育士ですっていうんじゃなく、◯◯をやる為に保育士として働いているとか、今は保育士だけれど、現場で心理的ケアが必要な方が多い事を知ったので、将来メンタルヘルスケアを勉強し、保育に活かしたいとか。
やっぱりさ、2足の草鞋を履いてるような事をすると、真面目に取り組め的な印象って持たれるけれど、保育業界にいる大人は2足どころか10足履く位の勢いが必要だよなと思う。
まっ、1足の草鞋じゃ編集できんもんねw
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